shaula

愛すべき赤の他人

誤算

   付き合ってほしい。結局それしか言えなかった。たくさんたくさん考えて練習してきたはずなのに、好きとすら言えなかった。今更つけ足そうにももう遅くて、金縛りにあったように固まったまま返事を待っていた。

「ごめん」

   その一言で、解凍された心臓が鳴りはじめたーー焦り。今までで一番の、何よりの誤算だった。

   そうだよね、ごめんね、分かってたーーそう言いたいのをこらえて尋ねる。ここで引き下がるわけにはいかなかった。計画変更、ありもしないプランBを考えなければ。そのためには、彼のそばにいられない理由を聞かねばならない。

「わけを、聞いてもいいかな」

   どんな答えが返ってくるのか、彼女には想像もつかなかった。奢ってくれたオムライスも、映画の前売り券も、駅まで迎えに来てくれた日も、貸してくれた傘の右半分も、彼が惜しみなく彼女に割いてくれた時間と費用は“友達”の範囲にとどまらない。それに、一緒にいる彼の笑う顔が嘘ではないことを彼女は感じていた。だから、勝率は100%と踏んでいた。それなのに。

「あー、なんというか」

   戸惑った彼の声がする。ちらりと目をやるが直視できない。ショックや焦りを感じる一方で、彼女はうっとりしていた。少し高めでやわらかい彼の声が好きだった。片方だけ長い前髪も、頻繁に変わる髪色も好きだった。伏し目がちにピアノを弾く表情も、携帯をいじっているときの横顔も、また明日ねと手を振ってくれることも、彼女の心のど真ん中に刺さって刻まれて、思い出すだけで好きだと思えて、好きで、ほんとうに好きで、どうしようもなかった。焦がれて焦がれて死んでしまうんじゃないかと思ったことも、ある。

 「その、こんなこと言うのも変なんだけどさ」

   彼の声がする。少し高めでやわらかい声。

「なんか、もうすぐ終わりだなーって感じがするんだよね」

「......どういうこと?」 

「いやその......はっきり言うけど、そのうちきみに殺されそうな気がする」

「え......っと、あたし、普通の女の子だよ」

「ベレッタなしのきみの方がいい」

「ふふ、シャワールームに行かなきゃね」

   ほら、今だって。彼は一緒に見たスパイ映画のセリフを引っぱってきて言った。どうしてこんなときに、ふたりで過ごした時間のことなんか思い出させるんだろう?思い出させておいてどうして拒むんだろう?どうしてーー、

「そうじゃなくって。どうしてそう思うの?」

「実はね、いろいろ引っかかってるんだ。きみがバイト行くってときの不思議な緊張感とか、時々きみの描いてる絵のこととか、上手くいきすぎてるような僕らの仲とか......きみと出かけたりするようになってから、不思議な予感がする。確証はなんにもないけど、さ」

   そこまで聞いて、彼女はまっすぐ彼を見つめた。

「そっか」

   そして、息をひとつつくと、落ちついた声で言った。

「ひとつだけ、わがまま言わせて」

   なぁに、と聞く彼を待たずして彼女は抱きついた。ほんの一瞬、彼が呆気にとられている間に。すぐに距離をとる。そして隠し持っていたベレッタをーー思い出の名前になった拳銃をーー彼の心臓めがけて、撃った。

 

   彼女は泣いた。何にもかまわず声をあげて泣いた。普通の女の子だと信じようとしてくれた彼は、信じきってくれなかった彼は、たった今自分で裏切った。計算ミスだらけの任務、中途半端な恋。この声が彼に届くことはもう、ない。

   手元には金平糖の小瓶があった。彼が好きで持ち歩いていた金平糖。同じ瓶に手を伸ばしてふたりで食べた金平糖

   一粒とって口に入れる。甘い塊は尖っていて、痛かった。

 

 

 

ni℃【@2naword】 〈キラー〉

 

 

恋のあとがき、トゥルーエンド

 

  最後の言葉は彼らしくさっぱりとしていた。深さが足りないんじゃなく、涼しげな雰囲気をまとう彼によく似合う答え。彼はどこまでいっても、わたしの恋したあのひとでいるのだった。

  手の届かないところにいる人だと、はじめから分かっていた。諦めては惚れて、また諦めては惚れなおして、そうやってもう何度も失恋した。だからか、今になって急に苦しくなったりはしなかった。予定通りキリトリセンであえなく散った恋は、今までのどんな恋より綺麗だったと思う。遠くへ消えてもまだ憧れるくらいに。

  告白なんかするずっと前から、もう思い出になっていたのかもしれない。つまり、この片思いはずっと前に終わっていた、そういうことなのかもしれない。それならこの、未練とも純粋な恋心とも違う感覚は?

 

  ちっとも思い通りにいかないな、困り顔でそう笑ってみた。とりあえずイヤホンをする。自分の世界を確保するために、あるいは、散らばって消えそうな思考を囲うために。こんなときでもわたしは聴きたい曲を真面目に選んでいる。そんなことしている場合じゃないはずなのに、呑気に何をやってるんだーー嘲り半分、苛立ち半分、唸るようなため息を吐いた。自分に寄り添ってくれる音楽だけをプレイリストに連れ出して身を埋め、抱えているはずの刃ごと自分を美化しているだけだ。どうせそんなところだ。だんだん自分が愚かに思えてきた。


  ひとつ心の痛みがあるとすれば、彼が少なからず気に病んでいるだろうということだ。彼には幸せになってほしいから、彼の望みならば記憶からだってよろこんで消えようと思う。それなのにわたしは余計なものを背負わせてしまった、そのことが申し訳なくて、悔しくなる。もちろんすべてを終わらせるためには必要なことなのだけれど、その身勝手な重さを少しでも多くわたしが担いたい。彼を煩わせたくない。わたしがやらなきゃいけない。始めたことは終わらせなきゃいけない。交わるはずがなかった人の、彼の隣に一瞬でもいられたことを忘れちゃいけない。思い出にして遠ざけちゃいけない......

 

  失恋世界、わたしはこの深い海で、この身が沈みきるのを待っている。

 

 

 

ni℃【@2naword】〈あとがき〉